1. 背景:Censored Planetとミシガン大学の記事
Censored Planetは、インターネット上の検閲やネットワーク干渉を大規模かつ継続的に測定する研究プロジェクトです。 2020年に発表された論文「Censored Planet: An Internet-wide, Longitudinal Censorship Observatory」は、2018年から2020年にかけて多数の国とネットワークを対象に測定を行い、各地の検閲傾向を分析したものでした。 (1)
この研究を紹介するミシガン大学の記事は、2020年11月16日に「‘Extremely aggressive’ internet censorship spreads in the world’s democracies」というタイトルで公開されました。 記事の主題は、従来は自由と見なされてきた民主主義国にも、インターネット検閲が広がっているというものでした。 (2)
その中で、日本のG20大阪サミットが例として挙げられました。 G20大阪サミットは、外務省のページでも確認できる通り、2019年6月28日から29日にかけて開催された国際会議です。 (3)
2. 初版では何が書かれていたのか
Wayback Machineに保存されている2020年11月17日時点のミシガン大学記事を見ると、初版には現在よりもはるかに強い表現がありました。 サブヘッドには、次のような記述が置かれていました。
Washington Post and Wall Street Journal were blocked in Japan during the 2019 G20 summit in Osaka.
また本文中にも、G20大阪サミットの開催中、日本でWashington PostやWall Street Journal(以下、WP/WSJ)のようなニュースサイトが「aggressively blocked」されたとする記述がありました。 (2)
この表現は、単に「一部ネットワークで到達性の異常が観測された」という技術的な記述ではありません。 通常の読者には、「G20大阪サミットに関連して、日本で主要な海外ニュースサイトが積極的にブロックされた」という印象を与えるものだったと言ってよいでしょう。
もちろん、初版記事が「日本政府が明示的に命令した」と直接書いていたわけではありません。 しかし、記事全体は「民主主義国にも検閲が広がっている」という文脈で構成されており、本文中でも「ブロッキング基盤がいったん整うと、政府は任意のウェブサイトをブロックできる」という趣旨のコメントが引用されていました。 その文脈で「日本でWP/WSJが積極的にブロックされた」と書けば、読者が政治的検閲を連想するのは自然です。
3. 現行版では何が変わったのか
現在のミシガン大学記事では、初版にあったWP/WSJの名前はサブヘッドからも本文からも削除されています。 さらに、現行記事には重要な留保が追加されています。
現行記事は、Censored Planetは検閲の主体を特定するものではないと説明しています。 また、検閲の増加を観測できても、それを政治的イベントと直接結びつけることはできないとも説明しています。 さらに、ウェブサイトに到達できない理由は、必ずしも政府要請によるネットワーク検閲とは限らない、とも述べています。 (4)
日本に関する記述も、現在では「2019年6月のG20サミット中、日本のいくつかのネットワークでいくつかのニュースサイトがブロックされた」という程度の表現になっています。 (4) 初版の「Washington Post and Wall Street Journal were blocked in Japan」「were aggressively blocked in Japan」という表現とは、読者に与える印象がかなり異なります。
記事末尾の「Clarifications」には、次のような説明があります。
This story has been updated to include additional nuance about the research, including: The names of the Wall Street Journal and Washington Post websites were removed from the subhead and the body of the story because the instance of blocking was only observed in one network and may be a case of misconfiguration rather than censorship.
要旨としては、WP/WSJの名前をサブヘッドと本文から削除したのは、そのブロッキング事例が一つのネットワークでしか観測されず、検閲ではなく設定ミスの可能性があるためだ、という説明です。 (4)
しかしこれは単なる「追加のニュアンス」ではなく、初版の中心的な印象を大きく変える訂正です。 もしWP/WSJの事例が一つのネットワークでしか観測されず、設定ミスの可能性もあるなら、「G20大阪中、日本でWP/WSJが積極的にブロックされた」という初版の表現は、少なくともかなり過剰だったと言わざるを得ません。
4. 論文本文には何が残っているのか
ここで話を複雑にしているのが、Censored Planet論文本文の記述です。
論文のTable 1には、日本について「2019年6月28日」「DNS, Echo」「News Media」「Summit」「New」というイベントが掲載されています。 つまり、Censored Planet側は、日本のG20大阪サミット期にニュースメディアカテゴリに関する新規の検閲イベントを検出したと整理していました。 (1)
さらに、論文のAppendix B.2.2「Blocking of News Media in Japan」では、G20期間中に日本でニュースメディアおよびEコマースカテゴリのドメインに対するブロッキングの増加を観測したと説明しています。 そこでは、ニュースメディアカテゴリの例として online.wsj.com と washingtonpost.com が挙げられています。 また、DNSブロッキングは51 AS中47 ASで観測されたため、ブロッキングは全国的で局所的ではない、と読める記述もあります。 (1)
また、論文内では次のように述べられています。
we find that Censored Planet’s large scale and data processing robustness helps us uncover censorship events in countries generally regarded as free.
— (1) の Appendix B.2.2
「helps us uncover censorship events in countries generally regarded as free」(一般に自由と見なされる国でも検閲イベントを発見できる)と述べているため、筆者たちはこの現象をかなり明確にcensorship event、つまり検閲イベントとして位置づけていたように読めます。
この論文本文の記述と、現行記事末尾の「WP/WSJのブロッキング事例は一つのネットワークでしか観測されず、設定ミスの可能性がある」という訂正文は、少なくとも読者にとっては整合しにくいものです。
考えられる読み方はいくつかあります。 たとえば、ニュースメディアカテゴリ全体では複数ASにまたがる異常が観測されたが、WP/WSJという具体的なドメインに限れば一つのネットワークでしか観測されなかった、という可能性はあります。 あるいは、後から追加検証した結果、初版記事の表現だけでなく、論文中の日本節の解釈にも修正が必要になったが、その関係が十分に説明されていない、という可能性もあります。
しかし、公開情報だけからは、どちらなのかは判然としません。 重要なのは、論文、広報記事、訂正文の間で「どの主張が現在も維持され、どの主張が撤回または限定されたのか」が十分に説明されていないことです。
5. 誤情報は外部にも残っている
この問題は、ミシガン大学の記事だけで完結していません。 初版の強い表現は、外部記事にも伝播しています。
たとえばGIGAZINEの記事には、Censored Planetの報告として、2019年6月にG20大阪サミットが開催された際、日本ではWashington PostやWall Street Journalのようなニュースサイトが積極的にブロックされた、という趣旨の記述が現在も残っています。 (5)
これはGIGAZINEを責める話ではありません。 元のミシガン大学記事にそのような強い表現があった以上、それを参照した記事に同じ表現が残るのは当然起こり得ます。 だからこそ、元記事の訂正は、初版の読者や引用者が何を修正すべきか分かる形で行われる必要がありました。
6. 問題は誤りそのものより、訂正の透明性
大規模なインターネット測定に誤検知や過剰な解釈が生じること自体は、ある程度避けられません。 Censored Planetのような研究は、対象国、対象ネットワーク、対象ドメイン、測定手法が多岐にわたります。 特定ネットワークの設定ミス、CDNやDNSの挙動、測定地点の偏り、カテゴリ分類の誤りなどが入り込む余地もあります。 したがって、初版の表現が後から修正されたこと自体をもって、研究全体を否定するべきではありません。
問題は、その訂正の仕方です。
現行記事の訂正文は、WP/WSJの名前を削除した理由として「一つのネットワークでしか観測されず、検閲ではなく設定ミスの可能性がある」と説明しています。 しかし、初版で実際にどのような文言が掲載されていたのか、何が不正確だったのか、論文中の日本節の記述は現在どのように理解されるべきなのか、という点は十分に説明されていません。
訂正文では、この変更は「additional nuance」として扱われています。 しかし、初版で「WP/WSJがG20大阪中に日本でブロックされた」「ニュースサイトが日本で積極的にブロックされた」と読める表現があり、後に「一つのネットワーク」「設定ミスの可能性」と説明されたのであれば、それは単なるニュアンスの追加というより、主要な印象を変える訂正です。
もちろんミシガン大学の記事が通常のニュース記事と同じ編集基準に従うべきかは議論の余地があります。 しかし、この記事は研究広報であり、しかもテーマは「検閲」「ネットワーク干渉」「透明性」です。 権力による不透明な情報統制を問題にする記事であればなおさら、自らの訂正にも高い透明性が求められるはずです。
7. 個人的な感想
私は日本のインターネット環境に問題が一切ないと言いたいわけではありません。 海賊版サイトブロッキングの議論、プラットフォームへの削除要請、未成年に対するフィルタリングの強制、通信の秘密をめぐる制度設計など、注意深く監視されるべき問題はあります。 日本のインターネットが常に理想的に自由だったと言うつもりもありません。
それでも、少なくとも現在の日本で一般の利用者が外国ニュースサイトや批判的な情報源にアクセスできることは重要な自由です。 そうした自由が維持されていることには価値があります。 だからこそ「G20大阪で日本は政治系のニュースサイトなどを積極的にブロックした」と読める形で実際以上に強い疑いをかけられたことには強い違和感があります。
特に看過しにくいのは、Censored Planetが単なる個人ブログではなく、インターネットの自由やネットワーク干渉の可視化を掲げる研究プロジェクトであることです。 同プロジェクトは自らの研究をデータ駆動のアプローチと位置づけ、強力なネットワーク仲介者や政府の脅威アクターに対抗するものとして説明しています。 また、Internet Freedom研究において肯定的な影響を与えてきたとも述べています。
そのような立場を掲げるのであれば、なおさら、自分たちの発信が過剰だった可能性がある場合には通常以上に丁寧で検証可能な訂正が求められるはずです。 権力やネットワーク事業者の不透明な振る舞いを批判する側が、自らの誤った、あるいは誤解を招く発信については「additional nuance」という曖昧な言葉で済ませるのはかなり不誠実に見えます。
誤りは起こり得ます。 測定研究にも広報記事にも誤解は入り込みます。 しかし、自由なインターネットを守るために検閲を可視化するという理念を掲げるなら、自分たちの訂正もまた読者が追跡・検証できる形で行うべきです。
今回のケースで問題なのは単に初版の記述が強すぎたことだけではありません。 「データ駆動」や「透明性」を武器に検閲を批判する側が自らの発信については初版で何を書きどの主張を維持しどの主張を撤回または限定したのかを十分に明らかにしていないことです。 これは単なる広報上の不手際ではありません。 検閲を監視する側が自分たちの誤った発信について透明性を欠いた訂正で済ませたなら、そのプロジェクトが他者に求めている説明責任を自分たち自身には十分に適用していないことになります。 少なくとも私はこの対応を見て、Censored Planetの掲げるInternet Freedomへの姿勢を素直に信頼することはできません。
8. まとめ
Censored Planetとミシガン大学の記事をめぐるこの件は「日本政府がG20大阪で海外ニュースサイトを検閲した」と結論づけるには不十分です。 初版記事には確かにそのような印象を与える強い表現がありましたが、現行記事ではその表現が削除され訂正文では一つのネットワークでしか観測されず設定ミスの可能性があると説明されています。
一方で、Censored Planet論文本文には日本のG20期にニュースメディアカテゴリおよびE-コマースサイトのDNSブロッキングを観測したという強い記述が残っています。 現行記事の訂正文と論文本文の関係は読者にとって十分に明確ではありません。
したがって、この件で検証されるべきなのは日本政府による検閲の有無だけではありません。 むしろ、検閲監視を掲げる研究プロジェクトと大学広報が、誤解を招く強い発信をした後、その訂正をどれだけ透明に行ったのか、という点です。
公開情報から見る限りミシガン大学の訂正は、初版で何が書かれていたのか、何が不正確だったのか、論文本文の該当箇所を現在どう読むべきなのかを読者が十分に理解できる形にはなっていません。 これは自由なインターネットを守るための研究広報としてとても残念な対応だったと言えます。
参考文献
- (1) Sundara Raman, Ram, Shenoy, Prerana, Kohls, Katharina, Ensafi, Roya. “Censored Planet: An Internet-wide, Longitudinal Censorship Observatory”. CCS '20: 2020 ACM SIGSAC Conference on Computer and Communications Security. Virtual Event USA, ACM, 2020. https://dl.acm.org/doi/10.1145/3372297.3417883, (参照 2026-05-25).
- (2) “‘Extremely aggressive’ internet censorship spreads in the world’s democracies – The Michigan Engineer News Center”. https://web.archive.org/web/20201117205812/https://news.engin.umich.edu/2020/11/extremely-aggressive-internet-censorship-spreads-in-the-worlds-democracies/#, (参照 2026-05-02).
- (3) “G20 Osaka Summit”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. https://www.mofa.go.jp/ecm/ec/page22e_000895.html, (参照 2026-05-25).
- (4) Cherry, Gabe. ‘Extremely aggressive’ internet censorship spreads in the world’s democracies. 2020. https://news.engin.umich.edu/2020/11/extremely-aggressive-internet-censorship-spreads-in-the-worlds-democracies/, (参照 2026-05-02).
- (5) “「インターネット検閲」は自由なはずの国にまで広がっているとの指摘、日本ではどうなのか? - GIGAZINE”. https://gigazine.net/news/20201119-internet-censorship-worlds-democracies/, (参照 2026-05-02).